エッセイ

不妊手術

リリーエルベの手術に対して、『人体実験』とか『失敗作』とか軽く言えるメンタルを持ってる人がトランスの味方のふりをしているというのは、まったくもってなんて恐怖なことなんだろう。


手術を望まない人がいるのはわかる。

私には理解不可能だが、ちんこ付いたままで戸籍の性別を女性に変更したいとか、そういう感情を持っているようだ。

それはそれで自由にしてください。

自由に活動してくださいと思う。

でも、その活動の一環として、所謂性別適合手術に対して、『不妊手術』や『断種手術』だと言ってdisするのは、まったくもって不適切であるばかりか、すでに手術を受けた人たちやこれから手術を検討している人たちにひどいstigmaを与えます。

トランスの戦いとは、いわばstigmaとの闘いではなかったのですか?

なのになぜ、自分と考え方の違うトランスを、激しく攻撃するトランスが存在するのだろう。

仲良くする必要はない、だけど、無意味に相手を攻撃する必要はないだろう。

「手術を望む人たちが全滅しないと自分たちは幸せになれない」と考えているようだとたまに感じることがある。

 

そもそも論として、望んで『不妊手術』を受けたいわけではないのだよね。

できることなら、望む性別の生殖機能を持ちたいと思っている。

男性→女性なら、子宮と卵巣を持って愛する人の子どもを産みたいと思うだろうし、女性→男性でも、愛する女性との間に子どもを持ちたいと思っているのだろう。

でも現代医療ではまだそれは無理なんだよね。

だから、仕方なく、見た目を近づけることで納得せざるを得ないわけでさ。

 

それに対して、「やーい、不妊手術、断種手術」なんて騒ぐのは、まったくもって、意気消沈で、けして「こいつらの仲間になりたいな」と思う気持ちが沸き上がるわけがない。


リリーエルベの頃から、子宮移植は試みられている。

でも、当時のそして現代の医療でもまだそれは実現できていないんだよね。

その辺のモニョモニョしたどうしようもない落ち込みの気分の心の傷跡に塩を塗り込むような「不妊手術」とかの言い方は、まったくもってありがたくないし、やめていただきたいものだよ。

まったくもって味方にはなれないし、それによって仲間になってきた連中とは、話は全く合わないのだろう。かみ合わないのだろう。

 

 

「だって、国連が手術は無しでもいいと言ってるんだもん」と済む人は、それはそれいいんだろう。

勝手にやってください。

 

でも、手術を望む人たちをdisするような行動や発言は慎んでください。人として当たり前の話です。