エッセイ

花丸 ジョグジャカルタ原則の真実

 

国連はそもそも、「LGBTの人々を暴力や差別から守るために、あらたに、LGBT固有の権利を創ったり、国際人権基準を確立したりする必要はありません」という立場。

そしたら「え?じゃジョグジャカルタ原則ってなんなの?」となりますよね。

性的指向と性同一性を理由とする差別との闘い

 

それはね、国連は、
「LGBTの人々の人権を擁護する各国の法的義務は、世界人権宣言とその後に合意された国際人権条約に基づく国際人権法で、すでにしっかりと確立されています」という立場なの。
新しい人権法は作りません。と。

 

でそうなると、世界のLGBT活動団体は、
「いや、まいったな、世界人権宣言にLGBTのことなんか具体的にはなんも書いてないじゃん」となるわけ。世界人権宣言とか、とても古いものだからね。
だから、専門家と称する人たちがインドネシアのジョグジャカルタに集まって「世界人権宣言とか他の国際人権条約からLGBTに使えそうなとこを抜粋して超訳してまとめようぜ」という会議を開いたわけ。

 

その会議で決めたのが、「ジョグジャカルタ原則」なのね。だから「LGBT人権法」とか「LGBT国際人権条約」とかじゃなくて、ただの「解釈の仕方の原則」なの。
世界人権宣言とかの文章を無理矢理にLGBTに当てはめると、こんな風に解釈できるんじゃないかなと俺たちが決めたよと、まとめたものなのね。

つまり、
ジョグジャカルタ原則とは、性的指向および性自認に関して国際人権法がどのように適用されるかを解釈してまとめた国際文書なわけ。

 

だから、ジョグジャカルタ原則は単体ではないわけ。そのそれぞれの「原則」には、根拠となる該当するいずれかの国際人権法が裏にきちんと存在してるはずなのね。すでにある国際人権法から、使えそうな部分を集めて解釈してまとめたものだからね。

 

原則自体には法的拘束力はないのね。
それぞれの締約国に対して拘束力のある人権諸条約にあげられた権利が、性的指向と性自認に関連してどのように当てはまるのかを示して、(当初は)29の原則にまとめたのね。
拘束力は、元々の人権諸条約側にあるわけ。

 

その元々の人権諸条約を読み込んで(元々の条約にはLGBTについての具体的なことは書いてないから)「ここはLGBT的にはこういう風に解釈することにします」と、ジョグジャカルタに集まった専門家たちが会議で決めたの。それが「原則」。

 

よって、

世界人権宣言 第1条
すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。

これがジョグジャカルタ原則フィルターを通すと、

すべての人間は尊厳と権利において生れながらに自由にして平等である。各個人の性的指向や性同一性のいかんに拘わらず、全ての人権を完全に享受する。

となります。

 

世界人権宣言第1条は、LGBT的にはこう解釈しますよとの原則を決めたのね。

 

要は、ジョグジャカルタ原則のすべての「原則」には、オリジナルの国際人権法のどこかの条が、一対一で対応してるはずなのです。
既存の国際人権法の、「LGBTに対する新解釈」がジョグジャカルタ原則なのですから。

 

本来は、ジョグジャカルタのすべての原則に、「これはどの国際人権法のここを新解釈しています」と書いておくべきなんですよね。
オリジナルとの恣意的な差異が、その「新解釈」に当たるわけですから、そこが分かりやすくなってないと不誠実なわけです。

 

で、現実には、その「不誠実」が事実なのです。

 

では「第3原則 法の下に承認される権利」を見てみましょう。

 

万人はあらゆる場所において法の前に人としてその人格を承認される権利を有する。多彩な性的指向や性同一性を持った人々は生活のあらゆる場面において法的能力を享受する。
各個人の自己規定された性的指向や性同一性はその個人の人格に不可欠なものであり、自己決定権、尊厳、自由の最も基本的側面の一つである。性同一性の法的承認、つまり法的性別変更の条件にホルモン療法や不妊手術や性別適合手術といった医学的治療は必須とされない。
結婚している、あるいは親であるといった社会的身分もその当事者の性同一性の法的承認つまり法的性別変更を妨げない。万人は性的指向や性同一性を否定したり、揉み消したり、抑圧するよう圧力をかけられない。

 

Principle 3
The Right to recognition before the law

 

「性同一性の法的承認、つまり法的性別変更の条件にホルモン療法や不妊手術や性別適合手術といった医学的治療は必須とされない」のここなんだけど、これは当たり前だけど世界人権宣言には直接は書いてはないんですよね。

 

ここはね、

 

世界人権宣言第五条
何人も、拷問又は残虐な、非人道的な若しくは屈辱的な取り扱い若しくは刑罰を受けることはない。

ここをLGBT的に新解釈してると思われるわけ。だから、LGBT活動団体は「手術の強制は拷問である」「診断を受けることは、屈辱的な取り扱いである」と主張してるんだよね。

 

だから、ジョグジャカルタ原則に関しては「え?そこをそう解釈するわけ?」という疑問をたくさん解決しなきゃいけないんですよね。

 

「世界人権宣言のどこをどのように解釈したらジョグジャカルタ原則になるのか」という研究だけで、論文がひとつ書けると思いますよ。

 

ジョグジャカルタ原則プラス10(YP + 10)

The Yogyakarta Principles plus 10 (YP+10)
Additional Principles and State Obligations on the Application of International Human Rights Law in Relation to Sexual Orientation, Gender Identity, Gender Expression and Sex Characteristics to Complement the Yogyakarta Principles.

The YP plus 10 was adopted on 10 November, 2017 to supplement the Yogyakarta Principles. The YP plus 10 document emerged from the intersection of the developments in international human rights law with the emerging understanding of violations suffered by persons on grounds of sexual orientation and gender identity and the recognition of the distinct and intersectional grounds of gender expression and sex characteristics.