エッセイ

再考して欲しい。朝日新聞「ネットで広がるトランスジェンダー女性差別、背景に何が」記事

新聞であるのにあまりに取材がされていない。もう少し報道の責任を考え直して欲しいと思う。朝日新聞の「ネットで広がるトランスジェンダー女性差別、背景に何が」という記事である。

 

有料記事であるが、途中までは無料で読める。

ネットで広がるトランスジェンダー女性差別、背景に何が 

 

まずこの記事で断定されている「トランスジェンダー女性差別」が何であるのかがわからない。

国内の動きとして

 

お茶大が受け入れを発表した2018年ごろから、トランス女性がトイレなどの女性専用空間を使うことにより「トランス女性を装って性犯罪をする人が出る」と訴えたり、トランス女性を「男体持ち」と蔑称で呼んだりする排除的なメッセージが目立つようになった。

国外の動きとして

 

(J.K.ローリングが)ツイートで「『月経がある人たち』。かつてはこうした人たちを指す言葉があったはずだけど」と、「ウィメン(女性)」という言葉をほのめかして揶揄(やゆ)。トランスジェンダーらの存在を無視し、「月経の有無によって性別が決まる」と言わんばかりに、論考のタイトルを皮肉った。 …ウェブサイトで過去に自身が受けた性暴力被害を明かし、「自分は女性だと信じる男性にトイレや更衣室のドアを開放すれば、中に入りたいと思うすべての男性にドアを開けることになる」と持論を重ねた。

この2つが挙げられている。J.K.ローリングに関しては、「トランス女性を排除しようとする投稿者には、彼女のように、性差別に関心の深い女性とみられるアカウントも多いことが問題を複雑にしている」とまとめているので、これを「差別」と「排除」だと判断していることがわかる。しかもフェミニストがそれをやっているのだから、問題が複雑だというのだ。

 

 

 

お茶の水女子大学が、SRS手術はもちろん、性同一性障害であるという医師の診断書も不要で、本人の「女性」だというアイデンティティに基づいて入学を許可するという、ある意味で、セルフIDに基づいての女性の入学を決めた。奈良女子大も診断書は求めていない。途中でジェンダー・アイデンティティが変わって、「男性」に戻ったとしても、就学機会は保持すると明言している。

 

お茶大のニュースが発表されたあと、「自分も勉強して女子大に行こう」「風呂は覗き放題」などというそれを揶揄する男性たちのツイートから、確かに、恐怖を感じた女性たちがいたのは事実である。女風呂やトイレの使用をめぐって、「トランス女性を装って性犯罪をする人が出る」「男体持ち」という言葉は一部、一時的にネットに踊った。それは否定しない。しかし、今現在こういった発言が続いていて、この問題を考えるときに一番に出てくる問題かと言われれば、ちょっと首を傾げざるを得ない。

 

多くの人は問題は、トランス女性という「人」そのものではなく、セルフIDだと認識していると思う。すでに女性として生きていて、女性トイレを使用している人達を、そこから追い出すというような主張は、ほぼ皆無といっているのではないか。むしろトランスライツ活動家による「くたばれGID(という概念)」「SRSは断種手術」などという発言が、現実に女性として、埋没して生きている(トランス)女性を傷つけていることを、気の毒に思っている人達だって多い(GIDとは、性同一性障害のことである。当初は(という概念)という部分はなかった)。

 

自分もそうであるが、多くの女性は、こうした「生まれたときに割り当てられた性別と自分の性の認識が異なるトランスジェンダー」に寄り添いたいと思っている。問題は、海外でも導入されたセルフIDである。これが日本にも導入された場合に、「性表現」が女性であれば、いや、性表現が女性である必要もなく、確かめようもない「自分の性の認識」に異議を唱えることは不可能になり、「女性の安全」がどう確保されるのかわからないという不安があるだけだ(個人的にはトイレや風呂の問題は、トランス女性や女性、そして子どもや、究極的には男性も、すべての人の安全が確保されるなら、誰がどんな格好をして性表現をしようが、ジェンダーアイデンティティを持とうが、どうでもいい)。

 

その不安の源泉は、実際に女風呂に「ちんこ股に挟んでちーっす」と入っているであるとか、「嫁以外の裸見たい」などと発言しているトランスの当事者の発言である。そして、「いまは権利を行使しないだけで、女風呂に入る権利はあるんだ」などという発言が活動家から出てきているからである。そうした動きを書くことなく、このような発言をことさらとりあげることは、どうみても現状を反映しているとはいえないし、アンフェアであるとすら思う。

 

 

 

ローリングに関しても、作品で女装した「シス男性」による殺人の描写があっただけで、直ちに「トランス差別」と決めつけられて、ネットで「葬式ごっこ」をされているさなかに書かれた記事だとは思えない。ハリーポッター本を燃やされるという、焚書事件がネットに次々と投稿されている現時点で、そういうことも全く書かれていない。当然、ローリングが「月経のある人」発言によって、どれだけの言葉の暴力にさらされ、ネットリンチを受けたのかもまるで書かれていない。

 

これらの発言が「フェミニスト」から出ているのは、問題を複雑にしているのではなく、考えてみたら当たり前だ。生理用ナプキンから女性のマークを取り去るように要求したり(実際に実現した)、プッシーハットはトランス差別であるから被るべきではないと主張され(また性器がピンクではない有色人種への差別でもあるとも主張された。難しいね)、そして「生理のある人」を単純に女性とは呼ばないこと。こうしたことは、「トランス女性」への配慮であると同時に、これまで「女性」がもっていた身体への意味づけが変更されてしまうことでもあるからだ(このことはまた別の機会に)。

 

タイトルに、「背景に何が」と銘打っているからには、最低限のこうした問題の「背景」を書き込んで欲しかったと思う(ruru)。

 

※編集代理が、当人の了解を得てこちらに転載いたしました。