エッセイ

日本学術会議の「トランスジェンダーの尊厳を保障するための法整備に向けて」への批判

日本学術会議による「性的マイノリティの権利保障をめざして(Ⅱ)―トランスジェンダーの尊厳を保障するための法整備に向けてー」という提言が、2020年9月23日に公表されました。

ツイッターでも多くのひとから、批判が出ていますが、読んでかなり驚きました。なぜなら、法律を作るための「立法事実が欠如」しているからです。

 

 

もちろん、「トランスジェンダーの権利保障」自体はとても重要です。しかし、それに至る根拠が以下のように書かれるのであれば、とうてい賛成できません。提言の背景を見てみましょう。

 

目下、日本でも自治体の取組やメディア等を通じて性的マイノリティの認知度が高まりつつある。教育・労働分野を中心に具体的な取組も活発になってきた。しかし、性的マイノリティを取り巻く現状は、なお楽観視できるものではない。とくにトランスジェンダーの権利保障については、環境は改善が進められている国・地域(EU 諸国など)と停滞・後退している国・地域の差が広がっている。一部のフェミニストのあいだには、「女性」をシスジェンダー(身体と性自認が一致)の女性に限定し、トランス女性を排除する動きがある。トランスジェンダーに対する理解を深めるための法整備は、トランスジェンダーの人びとの生命と尊厳を確保するための喫緊の課題なのである。

 

立法事実は、「一部のフェミニストのあいだには、「女性」をシスジェンダー(身体と性自認が一致)の女性に限定し、トランス女性を排除する動きがある」から。

だから「トランスジェンダーに対する理解を深めるための法整備は、トランスジェンダーの人びとの生命と尊厳を確保するための喫緊の課題」だというのです。

 

これは、提言の目的でもさらに繰り返されています。

 

一部のフェミニストのあいだには、女性身体ゆえに被害・抑圧を受ける女性の経験を重視する立場からトランス女性の「男性」としての経験を批判して、トランス女性を排斥しようとする動きがある[6]。

以上をふまえ、本提言では、三つの点を論じて今後の課題を指摘する。

 

[6]と、脚注がついてますね。それでは具体的に、何を指しているのでしょうか…。

[6] アジア女性資料センター2019『女たちの 21 世紀』No.98(特集:フェミニズムとトランス排除)所収の各論文参照。

 

なるほど、アジア女性資料センターの雑誌ですか。それでは、どのようなことが書いてあるのか見てみましょう。まずは冒頭の堀あきこ氏から。

お茶の水女子大学の報道時にあった懸念のうち、いまも中心的話題となっているのが、トランス女性の女性トイレについてである。トランス女性と女装した犯罪目的の男性とは見分けがつかないため、シスジェンダーの女性(性別違和を持たない女性)が危険な目に遭う。だから、女性専用スペースをトランス女性は使うべきでないと主張されている。

 危険を避けるために、どうすればトランス女性と犯罪目的の男性の「見分け」ができるかが議論され…(中略)…「トランスジェンダーは『誰でもトイレ』だけを使用すればいい」と隔離する案が出された。

 これらの言葉は、シス女性の「恐怖」を盾にトランス女性を潜在的な犯罪者のように扱い、人権を損なっている。…(中略)…トランス女性がトラブルを避けることに心を砕き、「誰でもトイレ」を探したり、排泄に我慢を強いられたりしている事実も無視するものだ。私たちは誰もが個人の尊厳を守られ、幸福を追求する権利を持っているが、いま現在、トランス女性の権利は十分に保護されていない状況なのだ(堀あきこ)。

ここでの排除は、「女性専用スペース」特に「女性トイレ」から「誰でもトイレ」への排除のようです。

 

もう半年近く、ツイッター上で、フェミニストを自称する女性たちとその同調者による取らぬジェンダー女性(Trans-woman。男性として生まれ女性として社会生活を送っている人。以下、トランス女性と略称)への排除的・差別的な書き込み(ツイート)が続けられている

 排除の対象となる場は、主に女子大学、女子トイレ、女湯、女子スポーツである。排除派は、トランス女性が、これらの「女性専有スペースに、不当にも侵入している」として排除を主張する(三橋順子)。

女子大学へのトランス女性の入学は着々と進んでいますし、それだけを批判している人は、それほどいるとは思われません。が、三橋順子氏は、「女子大学、女子トイレ、女湯、女子スポーツ」といった「女性専有スペース」からの排除を、差別と呼んでいるようです。

 

煽られた妄想的な恐怖は、一般には女性的であるとはされない私たちの身体的特徴を、性犯罪への兆候へと転換するには十分でした。奇妙な外性器、立派すぎる骨格、発達しすぎた筋肉、濃すぎる体毛、嫌悪感にかられた彼女たちは、私たちの身体の奇妙な部分を次々と発見していきました。そうして恣意的に見つけられた私たちの異質さは、私たちの仲間のうち、性別適合手術を受けていない人やパス度が低い人を、トイレさえも使うことを許されないような「エイリアン」にするには十分でした(尾崎)。 

尾崎日菜子氏は、性別適合手術を受けていない人やパス度の低い人のトイレからの排除を不当だと訴えますが、おそらくここは「女性トイレ」でしょう。

 

これらの「一部のフェミニスト」(別にフェミニストに限らず、男性も、何よりもトランスセクシュアルなどのトランス女性達からも疑問や不安の声が出てきていたと思いますが)から、女子トイレ、女湯、女子スポーツなどにおける安全確保に関して不安の声が挙げられていることが、「排除」であり、だからこそ早く立法をおこなって、性別変更の手続きを緩めるべきだという提言がなされているのです。

 

逆だと思います。海外では法改正によって、性別変更の自由度が高まり、様々な問題が引き起こされていることを議論の背景として、女性たちが、女子トイレ、女風呂、更衣室、DVやレイプなどの被害者のシェルター、刑務所などにおける安全の不安を訴えているのです。ですから本来なら、慎重に議論を積み重ね、国民的なコンセンサスを得るようにしなければならない、ということが結論となると思いますところが、容易な性別変更ルールへの不安や批判を「排除」と呼び、それをもって早急な立法への根拠とすることは、倒錯していると言わざるを得ません。

 

控えめに言っても、

 

 

本気なのか、聞いてみたい…。

しかもこれは、「フェミニスト」を、明らかに貶めて、馬鹿にしていると思います。ほかにも言いたいことはたくさんありますが、今日はここまで。個人的にはスポーツに関して、

 

日本スポーツ協会は、2020 年2月、SOGI 差別解消のためのガイドラインを公表した(資料⑮)。IOC は、2000 年に女性選手の性別確認検査を廃止した。医学的に性を明確に区別することはできないことや人権を侵害しないことのほうが競技の公平性を維持するよりも重視されるべきであることが主な理由であった。2004 年には IOC や世界陸連(WA)が一定の基準を決め、トランスジェンダーの選手が自認する性で競技をする道が開かれた。しかし、基準からはずれる者の処遇など、模索中の課題も多い。

 

こういった記述は、あまりに雑で、中立性を欠いていると思います。

 

「模索中の課題」で済ましているけれども、2018年にIAAF(現在はWA)が「性的発達の差異」に関する新たな基準を採用し、中距離競争でテストステロン値は6ヶ月継続して 5 nmol/L未満に抑えなければならなったことが、セメンヤ選手の処遇の問題を引き起こしたわけであるし、高レベルの内因性テストステロンとスポーツ・パフォーマンスの間に、科学的なエビデンスを用いるようになりました。競技の公平性と人権をめぐってはつねに緊張関係にあり、さまざまに制度が改変されてき続けているにもかかわらず、「医学的に性を明確に区別することはできないことや人権を侵害しないことのほうが競技の公平性を維持するよりも重視されるべきである」という理由だけを表記し、性別確認検査があたかも不要になったかのようなミスリードを誘うのも、どうかと思います(ちなみにこれは、インターネット検索で、知り得る範囲の情報です)。

 

そして現在特例法を利用している性同一性障害(性別違和)の方たちに対しても、少し敬意を欠く提言ではないかと思う箇所が多々ありすぎました。