エッセイ

朝おん

結局のところ、『朝おきたら女(男)になっていましたというのが理想』というのがトランスジェンダーというか性同一性障害というか性別不合界隈の暗黙の了解というところを信じたい面もあるわけです。

ところがそれは、現代医療の技術ではそこまで到達していないので、できる範囲でどこまでやるか、というのが、こりゃまた悩みの種というか現実的な解になるわけです。

 

そこに到達点としてのコンセンサスが得られてない人たちとは、こりゃまた上手に話すことはできないよなぁ的なことは考えます。
だってまぁ、みんながみんなと仲良く暮らさなければならないなんてことはないのだしね。

 

だから『仮に朝おきたら性別が変わってるという丸薬があったとしても私は飲まない!私は私の今の身体のままで社会的な性別を変えて生きる!それがトランスジェンダーの多様な生き方というもんだ』という方々とは理解しあえないよなぁと思います。

 

そもそも論として、sexとgender、femaleとwomenがうまく使い分けられない日本語という悪魔の言語では、この手の話を論じることはとても難しいのよ。かなり、書き手がそこを意識してくれないと、たちまち曖昧な内容になっちまうんだよ。お判りいただけますでしょうかね、わかるよね?そのくらい。

 

朝起きたら、社会的(gender)に女になってました。身体的(sex)には男のままですけど。では困ることもあるよね?困らない?それならいいけど、私はやっぱ嫌だよ。

 

その場合、社会が『この人はもともと男性です』という知ってる世界なのか知らない世界なのかでも違ってはくるよね。そして、朝起きたら社会的(gender)は男のままだけど、身体的(sex)は女になってました。というのもあり得るわけで、その場合もやはり、もともとの性別を知っていたかどうかがキーになるんかね。

でも、過去の自分との連続性をちゃんと証明できるのなら、それは『戸籍の変更』はうまく出来そうが気がする。ただ、結婚していたら同性婚になっちゃうから離婚は逃れられないかもね。仕方ない。