エッセイ

性同一性障害とか名前とか

ぶっちゃけ、性同一性障害とか性別違和とか性別不合とか、Gender Identity DisordertとかGender DysphoriaとかGender Incongruence とか、まぁ名前なんてどうでもよくて、要は「医療ケアをきちんと受けられること」が大事なわけです。

具体的な話をすれば、だいたい隔週でホルモン注射受けられるとか、その気になれば性別適合手術が受けられるとか、そういう「現実」が大事。

 

その意味で、「性同一性障害の名前は廃止されます!」とか、そんなのはどうでもいいんだよね。現実には廃止じゃなくて名称変更だけどさ。


要は、相変わらずに診断書をもらえて、ホルモン注射を受けることができて、その気になったら性別適合手術を受けられればそれでいい。

 

ただまぁ、『性同一性障害』という名前は、少なくとも日本語として日本国内では、それほど悪いイメージにはならなくて、むしろ理解をしてもらえることを促した感を個人的に感じているので、『性同一性障害』という名称の時に、しんどいいろんなことを実現できて駆け抜けたというタイムラインは、私にとってはよかったと思うよ。

 

これは『トランスジェンダー』という名称ではダメだったな。うまく理解が進んだかどうか、私には自信がない。ちょっと運がよかったと思うよ。

その意味で、今の若い人たちはちょっと可哀そうな気もしてる。仕方ないね。

でも、今、2020年に十代であるということでそうとう頑張れることもあるから、それはそれで羨ましいこともあるよ。

おばちゃんが十代の頃はなーんもなかった。ただただ、自分は変態なんだと思ってた。

 

そんな美しくもなんともない十代。