2020年10月の記事一覧
不妊手術
リリーエルベの手術に対して、『人体実験』とか『失敗作』とか軽く言えるメンタルを持ってる人がトランスの味方のふりをしているというのは、まったくもってなんて恐怖なことなんだろう。
手術を望まない人がいるのはわかる。
私には理解不可能だが、ちんこ付いたままで戸籍の性別を女性に変更したいとか、そういう感情を持っているようだ。
それはそれで自由にしてください。
自由に活動してくださいと思う。
でも、その活動の一環として、所謂性別適合手術に対して、『不妊手術』や『断種手術』だと言ってdisするのは、まったくもって不適切であるばかりか、すでに手術を受けた人たちやこれから手術を検討している人たちにひどいstigmaを与えます。
トランスの戦いとは、いわばstigmaとの闘いではなかったのですか?
なのになぜ、自分と考え方の違うトランスを、激しく攻撃するトランスが存在するのだろう。
仲良くする必要はない、だけど、無意味に相手を攻撃する必要はないだろう。
「手術を望む人たちが全滅しないと自分たちは幸せになれない」と考えているようだとたまに感じることがある。
そもそも論として、望んで『不妊手術』を受けたいわけではないのだよね。
できることなら、望む性別の生殖機能を持ちたいと思っている。
男性→女性なら、子宮と卵巣を持って愛する人の子どもを産みたいと思うだろうし、女性→男性でも、愛する女性との間に子どもを持ちたいと思っているのだろう。
でも現代医療ではまだそれは無理なんだよね。
だから、仕方なく、見た目を近づけることで納得せざるを得ないわけでさ。
それに対して、「やーい、不妊手術、断種手術」なんて騒ぐのは、まったくもって、意気消沈で、けして「こいつらの仲間になりたいな」と思う気持ちが沸き上がるわけがない。
リリーエルベの頃から、子宮移植は試みられている。
でも、当時のそして現代の医療でもまだそれは実現できていないんだよね。
その辺のモニョモニョしたどうしようもない落ち込みの気分の心の傷跡に塩を塗り込むような「不妊手術」とかの言い方は、まったくもってありがたくないし、やめていただきたいものだよ。
まったくもって味方にはなれないし、それによって仲間になってきた連中とは、話は全く合わないのだろう。かみ合わないのだろう。
「だって、国連が手術は無しでもいいと言ってるんだもん」と済む人は、それはそれいいんだろう。
勝手にやってください。
でも、手術を望む人たちをdisするような行動や発言は慎んでください。人として当たり前の話です。
障害ならしようがないよね
これって、なんでそんなに哀れみの言葉だと受け取る人がいるんだろう。別に「かわいそうな私」アピールなんかしてはいないよ。
世界には、「精神障害なんだから、自分の性別を自分で決めることなんかできやしないだろう」とか「精神障害なんだから、まともな仕事なんかできやしないだろう」なんて偏見のある国がまだまだあるらしく。例えば、就職活動の応募条件に「精神科に通ったことがないこと」なんてことが書いてある国があるらしく、なるほどまぁそんな国々なら、精神疾患のジャンルに性同一性障害が含まれているのはstigmaになるよね、というのは理解できる。逆にいうと、そのような背景があることを、きちんと理解していないまま、なんとなく「障害ってひどい、個性だよね」なんて言っちゃうのは、別に味方でもアライさんでもなんでもないからな?無能な味方は優秀な敵よりたちが悪いんだよ。
日本だとどう?
性同一性障害は『性別不合』に名称変更します
タイトルでほぼすべて言い切ってるな。
そういうことです。
英語では、Gender incongruence。
けして「性同一性障害は消滅しました」なんてことはない。それはちょっとミスリードが酷いよな。
まぁほんとのところ、性別不合もまだ厚生労働省的には仮訳だ。そのうち正式に決定するであろう。
この五月に世界保健総会へ提出されました。そんだけ。
国際疾病分類の第11回改訂版(ICD-11)が公表されました
詳しくは、上記のWHOのページから参照しましょう。
性同一性障害とか名前とか
ぶっちゃけ、性同一性障害とか性別違和とか性別不合とか、Gender Identity DisordertとかGender DysphoriaとかGender Incongruence とか、まぁ名前なんてどうでもよくて、要は「医療ケアをきちんと受けられること」が大事なわけです。
具体的な話をすれば、だいたい隔週でホルモン注射受けられるとか、その気になれば性別適合手術が受けられるとか、そういう「現実」が大事。
その意味で、「性同一性障害の名前は廃止されます!」とか、そんなのはどうでもいいんだよね。現実には廃止じゃなくて名称変更だけどさ。
要は、相変わらずに診断書をもらえて、ホルモン注射を受けることができて、その気になったら性別適合手術を受けられればそれでいい。
ただまぁ、『性同一性障害』という名前は、少なくとも日本語として日本国内では、それほど悪いイメージにはならなくて、むしろ理解をしてもらえることを促した感を個人的に感じているので、『性同一性障害』という名称の時に、しんどいいろんなことを実現できて駆け抜けたというタイムラインは、私にとってはよかったと思うよ。
これは『トランスジェンダー』という名称ではダメだったな。うまく理解が進んだかどうか、私には自信がない。ちょっと運がよかったと思うよ。
その意味で、今の若い人たちはちょっと可哀そうな気もしてる。仕方ないね。
でも、今、2020年に十代であるということでそうとう頑張れることもあるから、それはそれで羨ましいこともあるよ。
おばちゃんが十代の頃はなーんもなかった。ただただ、自分は変態なんだと思ってた。
そんな美しくもなんともない十代。
コンバージョンセラピー
性別違和が消えるのなら、まぁ電気ショックでもなんでも受けるよというトランスはいるでしょう。
性別違和が消える錠剤があるなら飲みたいというトランスもいるでしょう。
もちろん、そうでないトランスもいるでしょう。
「トランスジェンダーであることが私のアイデンティティ」みたいな人たちもいるでしょう。
で、それを本人の意思を無視して強制することがダメなのであって、「性別違和を消す方法はないか」を医師や研究者たちが考えることや、きちんとしたインフォームドコンセントの後で、当事者が望んで受けることすらダメって話ではないよ。
「なぜコンバージョンセラピーはダメなのか」の根本を理解してないよ。
「私のことを私抜きで決めないで」という話なんだよ?
自分で決めたことなら、例え「不妊手術」とdisられても性別適合手術を受ける人はいるんですよ。
自分のことは自分で決めます。ということです。
電気ショックなんて酷い、子宮や卵巣を取ってしまうなんて酷いとかの話はまったくもって見当違いなんだよね。