エッセイ

2020年9月の記事一覧

花丸 ジョグジャカルタ原則の真実

 

国連はそもそも、「LGBTの人々を暴力や差別から守るために、あらたに、LGBT固有の権利を創ったり、国際人権基準を確立したりする必要はありません」という立場。

そしたら「え?じゃジョグジャカルタ原則ってなんなの?」となりますよね。

性的指向と性同一性を理由とする差別との闘い

 

それはね、国連は、
「LGBTの人々の人権を擁護する各国の法的義務は、世界人権宣言とその後に合意された国際人権条約に基づく国際人権法で、すでにしっかりと確立されています」という立場なの。
新しい人権法は作りません。と。

 

でそうなると、世界のLGBT活動団体は、
「いや、まいったな、世界人権宣言にLGBTのことなんか具体的にはなんも書いてないじゃん」となるわけ。世界人権宣言とか、とても古いものだからね。
だから、専門家と称する人たちがインドネシアのジョグジャカルタに集まって「世界人権宣言とか他の国際人権条約からLGBTに使えそうなとこを抜粋して超訳してまとめようぜ」という会議を開いたわけ。

 

その会議で決めたのが、「ジョグジャカルタ原則」なのね。だから「LGBT人権法」とか「LGBT国際人権条約」とかじゃなくて、ただの「解釈の仕方の原則」なの。
世界人権宣言とかの文章を無理矢理にLGBTに当てはめると、こんな風に解釈できるんじゃないかなと俺たちが決めたよと、まとめたものなのね。

つまり、
ジョグジャカルタ原則とは、性的指向および性自認に関して国際人権法がどのように適用されるかを解釈してまとめた国際文書なわけ。

 

だから、ジョグジャカルタ原則は単体ではないわけ。そのそれぞれの「原則」には、根拠となる該当するいずれかの国際人権法が裏にきちんと存在してるはずなのね。すでにある国際人権法から、使えそうな部分を集めて解釈してまとめたものだからね。

 

原則自体には法的拘束力はないのね。
それぞれの締約国に対して拘束力のある人権諸条約にあげられた権利が、性的指向と性自認に関連してどのように当てはまるのかを示して、(当初は)29の原則にまとめたのね。
拘束力は、元々の人権諸条約側にあるわけ。

 

その元々の人権諸条約を読み込んで(元々の条約にはLGBTについての具体的なことは書いてないから)「ここはLGBT的にはこういう風に解釈することにします」と、ジョグジャカルタに集まった専門家たちが会議で決めたの。それが「原則」。

 

よって、

世界人権宣言 第1条
すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。

これがジョグジャカルタ原則フィルターを通すと、

すべての人間は尊厳と権利において生れながらに自由にして平等である。各個人の性的指向や性同一性のいかんに拘わらず、全ての人権を完全に享受する。

となります。

 

世界人権宣言第1条は、LGBT的にはこう解釈しますよとの原則を決めたのね。

 

要は、ジョグジャカルタ原則のすべての「原則」には、オリジナルの国際人権法のどこかの条が、一対一で対応してるはずなのです。
既存の国際人権法の、「LGBTに対する新解釈」がジョグジャカルタ原則なのですから。

 

本来は、ジョグジャカルタのすべての原則に、「これはどの国際人権法のここを新解釈しています」と書いておくべきなんですよね。
オリジナルとの恣意的な差異が、その「新解釈」に当たるわけですから、そこが分かりやすくなってないと不誠実なわけです。

 

で、現実には、その「不誠実」が事実なのです。

 

では「第3原則 法の下に承認される権利」を見てみましょう。

 

万人はあらゆる場所において法の前に人としてその人格を承認される権利を有する。多彩な性的指向や性同一性を持った人々は生活のあらゆる場面において法的能力を享受する。
各個人の自己規定された性的指向や性同一性はその個人の人格に不可欠なものであり、自己決定権、尊厳、自由の最も基本的側面の一つである。性同一性の法的承認、つまり法的性別変更の条件にホルモン療法や不妊手術や性別適合手術といった医学的治療は必須とされない。
結婚している、あるいは親であるといった社会的身分もその当事者の性同一性の法的承認つまり法的性別変更を妨げない。万人は性的指向や性同一性を否定したり、揉み消したり、抑圧するよう圧力をかけられない。

 

Principle 3
The Right to recognition before the law

 

「性同一性の法的承認、つまり法的性別変更の条件にホルモン療法や不妊手術や性別適合手術といった医学的治療は必須とされない」のここなんだけど、これは当たり前だけど世界人権宣言には直接は書いてはないんですよね。

 

ここはね、

 

世界人権宣言第五条
何人も、拷問又は残虐な、非人道的な若しくは屈辱的な取り扱い若しくは刑罰を受けることはない。

ここをLGBT的に新解釈してると思われるわけ。だから、LGBT活動団体は「手術の強制は拷問である」「診断を受けることは、屈辱的な取り扱いである」と主張してるんだよね。

 

だから、ジョグジャカルタ原則に関しては「え?そこをそう解釈するわけ?」という疑問をたくさん解決しなきゃいけないんですよね。

 

「世界人権宣言のどこをどのように解釈したらジョグジャカルタ原則になるのか」という研究だけで、論文がひとつ書けると思いますよ。

 

ジョグジャカルタ原則プラス10(YP + 10)

The Yogyakarta Principles plus 10 (YP+10)
Additional Principles and State Obligations on the Application of International Human Rights Law in Relation to Sexual Orientation, Gender Identity, Gender Expression and Sex Characteristics to Complement the Yogyakarta Principles.

The YP plus 10 was adopted on 10 November, 2017 to supplement the Yogyakarta Principles. The YP plus 10 document emerged from the intersection of the developments in international human rights law with the emerging understanding of violations suffered by persons on grounds of sexual orientation and gender identity and the recognition of the distinct and intersectional grounds of gender expression and sex characteristics.

 

 

 

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日本学術会議の「トランスジェンダーの尊厳を保障するための法整備に向けて」への批判

日本学術会議による「性的マイノリティの権利保障をめざして(Ⅱ)―トランスジェンダーの尊厳を保障するための法整備に向けてー」という提言が、2020年9月23日に公表されました。

ツイッターでも多くのひとから、批判が出ていますが、読んでかなり驚きました。なぜなら、法律を作るための「立法事実が欠如」しているからです。

 

 

もちろん、「トランスジェンダーの権利保障」自体はとても重要です。しかし、それに至る根拠が以下のように書かれるのであれば、とうてい賛成できません。提言の背景を見てみましょう。

 

目下、日本でも自治体の取組やメディア等を通じて性的マイノリティの認知度が高まりつつある。教育・労働分野を中心に具体的な取組も活発になってきた。しかし、性的マイノリティを取り巻く現状は、なお楽観視できるものではない。とくにトランスジェンダーの権利保障については、環境は改善が進められている国・地域(EU 諸国など)と停滞・後退している国・地域の差が広がっている。一部のフェミニストのあいだには、「女性」をシスジェンダー(身体と性自認が一致)の女性に限定し、トランス女性を排除する動きがある。トランスジェンダーに対する理解を深めるための法整備は、トランスジェンダーの人びとの生命と尊厳を確保するための喫緊の課題なのである。

 

立法事実は、「一部のフェミニストのあいだには、「女性」をシスジェンダー(身体と性自認が一致)の女性に限定し、トランス女性を排除する動きがある」から。

だから「トランスジェンダーに対する理解を深めるための法整備は、トランスジェンダーの人びとの生命と尊厳を確保するための喫緊の課題」だというのです。

 

これは、提言の目的でもさらに繰り返されています。

 

一部のフェミニストのあいだには、女性身体ゆえに被害・抑圧を受ける女性の経験を重視する立場からトランス女性の「男性」としての経験を批判して、トランス女性を排斥しようとする動きがある[6]。

以上をふまえ、本提言では、三つの点を論じて今後の課題を指摘する。

 

[6]と、脚注がついてますね。それでは具体的に、何を指しているのでしょうか…。

[6] アジア女性資料センター2019『女たちの 21 世紀』No.98(特集:フェミニズムとトランス排除)所収の各論文参照。

 

なるほど、アジア女性資料センターの雑誌ですか。それでは、どのようなことが書いてあるのか見てみましょう。まずは冒頭の堀あきこ氏から。

お茶の水女子大学の報道時にあった懸念のうち、いまも中心的話題となっているのが、トランス女性の女性トイレについてである。トランス女性と女装した犯罪目的の男性とは見分けがつかないため、シスジェンダーの女性(性別違和を持たない女性)が危険な目に遭う。だから、女性専用スペースをトランス女性は使うべきでないと主張されている。

 危険を避けるために、どうすればトランス女性と犯罪目的の男性の「見分け」ができるかが議論され…(中略)…「トランスジェンダーは『誰でもトイレ』だけを使用すればいい」と隔離する案が出された。

 これらの言葉は、シス女性の「恐怖」を盾にトランス女性を潜在的な犯罪者のように扱い、人権を損なっている。…(中略)…トランス女性がトラブルを避けることに心を砕き、「誰でもトイレ」を探したり、排泄に我慢を強いられたりしている事実も無視するものだ。私たちは誰もが個人の尊厳を守られ、幸福を追求する権利を持っているが、いま現在、トランス女性の権利は十分に保護されていない状況なのだ(堀あきこ)。

ここでの排除は、「女性専用スペース」特に「女性トイレ」から「誰でもトイレ」への排除のようです。

 

もう半年近く、ツイッター上で、フェミニストを自称する女性たちとその同調者による取らぬジェンダー女性(Trans-woman。男性として生まれ女性として社会生活を送っている人。以下、トランス女性と略称)への排除的・差別的な書き込み(ツイート)が続けられている

 排除の対象となる場は、主に女子大学、女子トイレ、女湯、女子スポーツである。排除派は、トランス女性が、これらの「女性専有スペースに、不当にも侵入している」として排除を主張する(三橋順子)。

女子大学へのトランス女性の入学は着々と進んでいますし、それだけを批判している人は、それほどいるとは思われません。が、三橋順子氏は、「女子大学、女子トイレ、女湯、女子スポーツ」といった「女性専有スペース」からの排除を、差別と呼んでいるようです。

 

煽られた妄想的な恐怖は、一般には女性的であるとはされない私たちの身体的特徴を、性犯罪への兆候へと転換するには十分でした。奇妙な外性器、立派すぎる骨格、発達しすぎた筋肉、濃すぎる体毛、嫌悪感にかられた彼女たちは、私たちの身体の奇妙な部分を次々と発見していきました。そうして恣意的に見つけられた私たちの異質さは、私たちの仲間のうち、性別適合手術を受けていない人やパス度が低い人を、トイレさえも使うことを許されないような「エイリアン」にするには十分でした(尾崎)。 

尾崎日菜子氏は、性別適合手術を受けていない人やパス度の低い人のトイレからの排除を不当だと訴えますが、おそらくここは「女性トイレ」でしょう。

 

これらの「一部のフェミニスト」(別にフェミニストに限らず、男性も、何よりもトランスセクシュアルなどのトランス女性達からも疑問や不安の声が出てきていたと思いますが)から、女子トイレ、女湯、女子スポーツなどにおける安全確保に関して不安の声が挙げられていることが、「排除」であり、だからこそ早く立法をおこなって、性別変更の手続きを緩めるべきだという提言がなされているのです。

 

逆だと思います。海外では法改正によって、性別変更の自由度が高まり、様々な問題が引き起こされていることを議論の背景として、女性たちが、女子トイレ、女風呂、更衣室、DVやレイプなどの被害者のシェルター、刑務所などにおける安全の不安を訴えているのです。ですから本来なら、慎重に議論を積み重ね、国民的なコンセンサスを得るようにしなければならない、ということが結論となると思いますところが、容易な性別変更ルールへの不安や批判を「排除」と呼び、それをもって早急な立法への根拠とすることは、倒錯していると言わざるを得ません。

 

控えめに言っても、

 

 

本気なのか、聞いてみたい…。

しかもこれは、「フェミニスト」を、明らかに貶めて、馬鹿にしていると思います。ほかにも言いたいことはたくさんありますが、今日はここまで。個人的にはスポーツに関して、

 

日本スポーツ協会は、2020 年2月、SOGI 差別解消のためのガイドラインを公表した(資料⑮)。IOC は、2000 年に女性選手の性別確認検査を廃止した。医学的に性を明確に区別することはできないことや人権を侵害しないことのほうが競技の公平性を維持するよりも重視されるべきであることが主な理由であった。2004 年には IOC や世界陸連(WA)が一定の基準を決め、トランスジェンダーの選手が自認する性で競技をする道が開かれた。しかし、基準からはずれる者の処遇など、模索中の課題も多い。

 

こういった記述は、あまりに雑で、中立性を欠いていると思います。

 

「模索中の課題」で済ましているけれども、2018年にIAAF(現在はWA)が「性的発達の差異」に関する新たな基準を採用し、中距離競争でテストステロン値は6ヶ月継続して 5 nmol/L未満に抑えなければならなったことが、セメンヤ選手の処遇の問題を引き起こしたわけであるし、高レベルの内因性テストステロンとスポーツ・パフォーマンスの間に、科学的なエビデンスを用いるようになりました。競技の公平性と人権をめぐってはつねに緊張関係にあり、さまざまに制度が改変されてき続けているにもかかわらず、「医学的に性を明確に区別することはできないことや人権を侵害しないことのほうが競技の公平性を維持するよりも重視されるべきである」という理由だけを表記し、性別確認検査があたかも不要になったかのようなミスリードを誘うのも、どうかと思います(ちなみにこれは、インターネット検索で、知り得る範囲の情報です)。

 

そして現在特例法を利用している性同一性障害(性別違和)の方たちに対しても、少し敬意を欠く提言ではないかと思う箇所が多々ありすぎました。

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【試訳】しかし、Self-IDのような奇妙なアイデアは、どのようにしてこれほど多くの政治的牽引力を獲得したのでしょうか。

 

 

英国政府が本当にSelf-IDを拒否した場合、それは「gender identity」ロビーにとって歴史的な敗北となるでしょう。 しかし、Self-IDのような奇妙なアイデアは、どのようにしてこれほど多くの政治的牽引力を獲得したのでしょうか。 それは奇妙で厄介な話です。

それはすべて1974年にエジンバラで始まり、2人の男がヨーロッパ中のゲイ組織を集めて国際ゲイ会議(IGC: International Gay Congress)を結成しました。 そのうちの1人であるIanDunnは、悔い改めない小児性愛者であり、PIEの創設メンバーです。 これが彼の死亡記事です。

https://www.independent.co.uk/news/obituaries/obituary-ian-dunn-1151494.html

 

IGCは、やがて国際的なゲイの権利団体であるILGAになります。 ILGAは、1994年に小児性愛者組織とのつながりが明らかになったときに国連NGOとしての地位を保留にされました。

これがILGA自身のその大失敗に対する見方です。

https://ilga.org/ilga-ecosoc-status-controversy 

 

ILGAがついに国連NGOに復帰したとき、2006年に、国連は「同性愛者の権利を適切に受け入れるべきである」と主張する勢力に戻りました。

しかし、ジンバブエやサウジアラビアなどの反対を克服することはできませんでした。

それで、ILGAは素晴らしい考えを持ちました。

インドネシアへの旅行はいかがですか?

 

2007年、ILGAは人権弁護士をインドネシアのジョグジャカルタへの旅行に招待し、そこで人権憲章を作成し、同性愛者の権利に関する決定的な声明を作成することを望みました。 

運命的な間違いがありました。 その日の終わりに、スティーブン・ウィットルのようなトランス活動家も招待され、新しい「ジョグジャカルタ原則」に性的指向と同等の地位を持つ「性自認」を含めることを主張しました。 そして彼らは勝ったのです。

 

ジョグジャカルタ原則の性自認条項の中心にあったのは、トランスジェンダー活動の周辺から取られたSelf-IDの概念でした。

これは、誰もがidentifiedした性別として法的に認められるべきであると述べたもので、その件について質問はありませんでした。

そしてそれはすぐに世界中の活動家によって促進されました。

 

ジョグジャカルタ原則のナンセンスを最初に導入したのは、2012年に息を呑むほど腐敗していたアルゼンチンでした。

これは、恐ろしいクリスティーナキルヒナーがSelf-IDを使用して彼女のイメージを向上させた方法を探るスレッドです。

彼女の純資産は推定1億1500万ドルです。

https://twitter.com/TwisterFilm/status/1215336108776706050?s=20 

 

ひどく堕落したマルタがEUに加盟し、その政府が進歩的であるように必死に見せようとしたので、Self-IDを通過させました。

この政策と横行する汚職の批評家はダフネ・ガリツィアでした。 その同じ政府の主要メンバーは現在、彼女の死に関与しています。

 https://www.theguardian.com/membership/2020/feb/08/malta-daphne-caruana-galizia-murder-journalist-investigation

 

pinknewsは、マルタがILGAのLGBTの権利ランキングで、トップであったスコットランドを追い抜いたことを嘆きました。

マルタの兵器級の腐敗の事実についての言及はありませんでした。

 

Self-IDは「国際的なベストプラクティス」であると言われています。 しかしそうではありません。

アイルランド、デンマーク、ノルウェーでは、結婚の平等を求めるキャンペーン中にSelf-IDが密輸されました。

トランスロビーグループへの法的助言からの抜粋が認めているように、これは意図的な戦術でした。

 

大衆が決してそれに従わないことを彼らは知っていたので、「Self-IDをあえて議論しなかった」というロビーの欺瞞的な戦術を暴露しました。

彼らは代わりにトロイの木馬として同性愛者の権利を利用することに決めました。

https://www.spectator.co.uk/article/the-document-that-reveals-the-remarkable-tactics-of-trans-lobbyists 

 

英国では、この戦術はストーンウォールUKによって利用されました。
2015年にトランスジェンダーの権利を最優先事項として採用した人は、みんなのお気に入りのトランス活動家、あごひげを生やした「レズビアン」、アレックス・ドラモンドを含む彼らが設置したトランス諮問委員会でした。

 

JK.ローリングは、トランスジェンダーの人々が望むように生活する権利を公に支持しました。しかし、国民は、彼女はヘイトを持っていると主張する攻撃に困惑しました。 

https://twitter.com/TwisterFilm/status/1307883098516983809?s=20

 

参考:

ジョグジャカルタ原則の真実

 

 
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思想警察に抵抗するJKローリング

イギリス共産党のHPに掲載された、JKローリングに関する論考を試訳しました。大学を出た若い人たちが、JKローリングを攻撃する理由は、「ポストモダン」思想の影響だという指摘には、個人的にはもろ手をあげて賛同することはできませんが、「思想警察」の問題点は、確かにあります。


簡単そうに見えて、諧謔が効いていて、とても訳しにくかった。間違いなどあれば、お知らせください。

 

 

思想警察に抵抗するJKローリングのスタンス(2020年7月9日)

著者であるJKローリングの現実を守るという勇気あるスタンスは守られるべきだし、ローリングをヒステリックに中傷する人たちは、いかに酷い反動的ないじめをする人たちであるかを知らしめています。

 

いまや、ハリーポッター本の著者であるJKローリングが自称トランス活動家の標的になっていることは、おそらく世界中でよく知られているでしょう。なぜなら、彼女はツイートで、「月経のある人」の代わりに「ジェンダー化された」言葉である「女性 women」を使うことを避けようとする試みを、やんわりとあざ笑ったからです。

 

ポリティカルコレクトネス(政治的正しさ)を強制する人たちには、ローリングを「ばばあ」と呼ぶことから、身体的暴力やレイプをすると脅すものまで、様々な反応がありました。素敵ですね!

 

これらの憎しみを吐き出している人たちは、脅迫行為で犯罪として訴追されるべきですが、実際には彼らの方が、セックスは生物学的な現実であると認める人たちを批判するという厚かましい事態になっています。セックスは生物学的現実だと認める人たちは、必然的にトランスの人たちを「憎んでいる」というわけなのです。でも、明らかにセックスが生物学的な現実であるということと、トランスの人たちを「憎んでいる」ということの間には、論理的な結びつきはありません。

 

ローリングさんは、6月12日の「Times」に、それに対する長い文章を書いてこたえています。それは、ローリングはトランスに深い共感を寄せるけれども、それと同時に生物学的な性別を否定することはできないというものでした。

 

 

 

トランスの人々に共感を寄せ、事実上トランスの人たちが選んだ性別(gender)で生活する権利を認めることは、しかし、男性と女性という異なった性別(sex)が存在しているということを否定するものでも、生物学的な性別が存在しないと宣言させられるものでもありません。それは女性であることや女性の権利を否定するに等しいことだし、近代社会における女性嫌悪をかなり反映するものでもあります。

 

ローリングさんがこのように共感的に、そして繊細にこの問題にアプローチしていることは、間違いなく、イギリス(British)の圧倒的多数の人々の態度と同じです。しかし、ハリーポッターの映画に出演することで有名になった様々な俳優たちが、嫌がらせの雄たけびをローリングに向けてあげたこと、例えばいそいそとローリングさんを非難し、彼らの友人関係からローリングさんを追い出したことは、信じられないことです。

 

しかし、ひどく愚かだと非難されるべきは、彼らの方です。もちろん、彼らにだって馬鹿げた見方をする権利もありますが、友情を壊すようなものである必要はないわけですし、ましてや身体的暴力やレイプの脅威である必要はないのです。

 

トランスの人たちに対する態度に関して言えば、トランスの人たちは殴られ、殺されるべきだと宣言したり、ましてやわざわざ嘲笑したり、馬鹿にしたりしていいと言う人とは、友達をやめるでしょう。でも、例えば出生証明書の変更認定はちょっと行き過ぎているとか、そんな考えに賛成できないというだけで、その人の友情が終わりになりますか? または、明らかにまだ身体的に男性である人たちに、女性の更衣室を使うことを許可してはいけない、女性の避難所にいるのはどうかと主張する人たちに賛成できないときには? または、身体がもともとは男性だから、強さの面で優れているから、スポーツで女性と競争するのはどうかとということに、賛成できないときには?

 

政治的な正しさを利用するいじめの多くは、大学在籍中の学生か、大学院生、大学を卒業した若い人 (graduates)であり、このことは大学が、今日の人文科学の学生たちに「ポストモダン」の観念論的な思想を押し付けているという事実と関係しています。こうした思想は、物質世界に当たるものは観念の正しさを判断する土台をもたないと、主張するものです。それどころか、これらの近代を否定する思想によれば、正しさの唯一の基準は、多くの人たちが真実だと「信じる」ことに過ぎないというのです(もしくは、エリートたる「教育を受けた」多くの人たちが真実だと信じること)。

 

 

 

もしも、この物質的な世界から、具体的で、否定のしようのない証拠を示したとしても、人々に心を入れ替えるように説得するのは、必ずしも簡単ではありません。だから、もしもあなたが真実の基準として物質的な現実を否定するとしても、違った意見を押し付けられて、それが大多数の人の「パブリックオピニオン」、ポストモダンの意味では新しい「本当 true」の考え方なんだと、受け入れろといわれたからといって、すっかり態度を変えてしまうなんてことができますか?

 

ええと、同意してくださいと誘導して、錯覚させることはできるでしょう。でも、それがうまくいかない場合、もっと地に足が付いた、真面目なタイプの人相手の場合、できることは、恐怖で黙るだろうと期待して、いじめや脅しをすることしかありません。ほかに何ができます?この点で、確かに、殺してやる、怪我を負わせるぞ、厳罰を与えるぞ脅すことで、宗教的な信念を諦めさせようとする、間違いなく非難されるべき人々と、なにか違いがありますか?

 

いくつかの不可解な理由のために、「政治的に正しい」ことはしばしば「左翼」である人々にもっぱら帰せられます。マルクス主義はもちろん、通常、「左派」の本質的な哲学であると考えられています。しかし、マルクス主義の哲学は弁証法的および歴史的な唯物論(materialism)であり、どんなに多くの人々が学んだり信じているかもしれないけれども、それとは関係なく、その最も基本的な信条の1つは、観念は、物質的な現実と一致する場合に「だけ」真実だというものなのです。

 

かつて実際に、人々はみな、地球は平らであり、太陽が地球の周りを公転していると信じていました。しかしそれらの考えは、結局、真実とはならなかった。したがって、女性と男性の間に生物学的な差異はないと信じるようにと嫌がらせをしようとも、それは真実になることはないのです。

 

(男女に)違いがあるって最高!Vive la difference! 女性の権利を守り、女性の権利を消去させないようにしましょう! 思想警察を告発しましょう! JK ローリングと、真実を擁護する人を支持しましょう!

 

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再考して欲しい。朝日新聞「ネットで広がるトランスジェンダー女性差別、背景に何が」記事

新聞であるのにあまりに取材がされていない。もう少し報道の責任を考え直して欲しいと思う。朝日新聞の「ネットで広がるトランスジェンダー女性差別、背景に何が」という記事である。

 

有料記事であるが、途中までは無料で読める。

ネットで広がるトランスジェンダー女性差別、背景に何が 

 

まずこの記事で断定されている「トランスジェンダー女性差別」が何であるのかがわからない。

国内の動きとして

 

お茶大が受け入れを発表した2018年ごろから、トランス女性がトイレなどの女性専用空間を使うことにより「トランス女性を装って性犯罪をする人が出る」と訴えたり、トランス女性を「男体持ち」と蔑称で呼んだりする排除的なメッセージが目立つようになった。

国外の動きとして

 

(J.K.ローリングが)ツイートで「『月経がある人たち』。かつてはこうした人たちを指す言葉があったはずだけど」と、「ウィメン(女性)」という言葉をほのめかして揶揄(やゆ)。トランスジェンダーらの存在を無視し、「月経の有無によって性別が決まる」と言わんばかりに、論考のタイトルを皮肉った。 …ウェブサイトで過去に自身が受けた性暴力被害を明かし、「自分は女性だと信じる男性にトイレや更衣室のドアを開放すれば、中に入りたいと思うすべての男性にドアを開けることになる」と持論を重ねた。

この2つが挙げられている。J.K.ローリングに関しては、「トランス女性を排除しようとする投稿者には、彼女のように、性差別に関心の深い女性とみられるアカウントも多いことが問題を複雑にしている」とまとめているので、これを「差別」と「排除」だと判断していることがわかる。しかもフェミニストがそれをやっているのだから、問題が複雑だというのだ。

 

 

 

お茶の水女子大学が、SRS手術はもちろん、性同一性障害であるという医師の診断書も不要で、本人の「女性」だというアイデンティティに基づいて入学を許可するという、ある意味で、セルフIDに基づいての女性の入学を決めた。奈良女子大も診断書は求めていない。途中でジェンダー・アイデンティティが変わって、「男性」に戻ったとしても、就学機会は保持すると明言している。

 

お茶大のニュースが発表されたあと、「自分も勉強して女子大に行こう」「風呂は覗き放題」などというそれを揶揄する男性たちのツイートから、確かに、恐怖を感じた女性たちがいたのは事実である。女風呂やトイレの使用をめぐって、「トランス女性を装って性犯罪をする人が出る」「男体持ち」という言葉は一部、一時的にネットに踊った。それは否定しない。しかし、今現在こういった発言が続いていて、この問題を考えるときに一番に出てくる問題かと言われれば、ちょっと首を傾げざるを得ない。

 

多くの人は問題は、トランス女性という「人」そのものではなく、セルフIDだと認識していると思う。すでに女性として生きていて、女性トイレを使用している人達を、そこから追い出すというような主張は、ほぼ皆無といっているのではないか。むしろトランスライツ活動家による「くたばれGID(という概念)」「SRSは断種手術」などという発言が、現実に女性として、埋没して生きている(トランス)女性を傷つけていることを、気の毒に思っている人達だって多い(GIDとは、性同一性障害のことである。当初は(という概念)という部分はなかった)。

 

自分もそうであるが、多くの女性は、こうした「生まれたときに割り当てられた性別と自分の性の認識が異なるトランスジェンダー」に寄り添いたいと思っている。問題は、海外でも導入されたセルフIDである。これが日本にも導入された場合に、「性表現」が女性であれば、いや、性表現が女性である必要もなく、確かめようもない「自分の性の認識」に異議を唱えることは不可能になり、「女性の安全」がどう確保されるのかわからないという不安があるだけだ(個人的にはトイレや風呂の問題は、トランス女性や女性、そして子どもや、究極的には男性も、すべての人の安全が確保されるなら、誰がどんな格好をして性表現をしようが、ジェンダーアイデンティティを持とうが、どうでもいい)。

 

その不安の源泉は、実際に女風呂に「ちんこ股に挟んでちーっす」と入っているであるとか、「嫁以外の裸見たい」などと発言しているトランスの当事者の発言である。そして、「いまは権利を行使しないだけで、女風呂に入る権利はあるんだ」などという発言が活動家から出てきているからである。そうした動きを書くことなく、このような発言をことさらとりあげることは、どうみても現状を反映しているとはいえないし、アンフェアであるとすら思う。

 

 

 

ローリングに関しても、作品で女装した「シス男性」による殺人の描写があっただけで、直ちに「トランス差別」と決めつけられて、ネットで「葬式ごっこ」をされているさなかに書かれた記事だとは思えない。ハリーポッター本を燃やされるという、焚書事件がネットに次々と投稿されている現時点で、そういうことも全く書かれていない。当然、ローリングが「月経のある人」発言によって、どれだけの言葉の暴力にさらされ、ネットリンチを受けたのかもまるで書かれていない。

 

これらの発言が「フェミニスト」から出ているのは、問題を複雑にしているのではなく、考えてみたら当たり前だ。生理用ナプキンから女性のマークを取り去るように要求したり(実際に実現した)、プッシーハットはトランス差別であるから被るべきではないと主張され(また性器がピンクではない有色人種への差別でもあるとも主張された。難しいね)、そして「生理のある人」を単純に女性とは呼ばないこと。こうしたことは、「トランス女性」への配慮であると同時に、これまで「女性」がもっていた身体への意味づけが変更されてしまうことでもあるからだ(このことはまた別の機会に)。

 

タイトルに、「背景に何が」と銘打っているからには、最低限のこうした問題の「背景」を書き込んで欲しかったと思う(ruru)。

 

※編集代理が、当人の了解を得てこちらに転載いたしました。

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