エッセイ

みなさまからのエッセイです

コンバージョンセラピー

性別違和が消えるのなら、まぁ電気ショックでもなんでも受けるよというトランスはいるでしょう。

性別違和が消える錠剤があるなら飲みたいというトランスもいるでしょう。

もちろん、そうでないトランスもいるでしょう。

「トランスジェンダーであることが私のアイデンティティ」みたいな人たちもいるでしょう。


で、それを本人の意思を無視して強制することがダメなのであって、「性別違和を消す方法はないか」を医師や研究者たちが考えることや、きちんとしたインフォームドコンセントの後で、当事者が望んで受けることすらダメって話ではないよ。

「なぜコンバージョンセラピーはダメなのか」の根本を理解してないよ。

 

「私のことを私抜きで決めないで」という話なんだよ?

 

自分で決めたことなら、例え「不妊手術」とdisられても性別適合手術を受ける人はいるんですよ。

自分のことは自分で決めます。ということです。


電気ショックなんて酷い、子宮や卵巣を取ってしまうなんて酷いとかの話はまったくもって見当違いなんだよね。

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トランスジェンダー*:用語の修辞的風景

http://theangels.co.uk/2015/08/transgender-the-rhetorical-landscape-of-a-term/

トランスジェンダーの現在の主な定義は、傘のメタファーに依存しています(アンブレラターム)。

 

性同一性および/または性表現が、出生時に割り当てられた性別(sex)と異なる人のための包括的な用語。

この用語には以下のものが含まれますが、これらに限定されるものではありません。

トランスセクシュアル、クロスドレッサー、その他の性別を異にする人々。
(“ GLAADメディアリファレンスガイド”)

この包括的で「限定されていない」用語はどのように論争を招くのでしょうか?

 

トランスジェンダーはトランスセクシャルを排除するための植民地化用語であり、現代のオンライントランスコミュニティの間で「トランスウォーズ」として知られ、「詐欺だ」と批判している人もいます。
特にトランスジェンダーがトランスセクシャルを排除していると感じる人のために、この用語に関する議論はその歴史的出現について語られた物語に根ざしています。
トランスジェンダーの歴史的出現についての特別な話が目立つようになっています。


ヴァージニアプリンスは「トランスジェンダー」という用語を名詞として(トランスセクシャルでもトランスヴェスタイトでもなく)「生殖器に頼ることなく社会の性別:gender を恒久的に変えた人々」と表現した」(Stryker “(De)Subjugated”)


1990年代初頭、レスリー・ファインバーグは、影響力のあるパンフレット「トランスジェンダー解放」において名詞から形容詞へと用語を変更し、ジェンダー抑圧に直面した人々を含むように定義を拡大しました。
これが「トランスジェンダー」の現代的な用法の総称としての誕生です。(Rawson 124–125)


しかし結局のところ、この物語は事実上不正確であるだけでなく、トランスジェンダーの歴史的出現を深刻に過度に単純化しすぎています。
この論点は単に歴史的な正確さの問題ではありませんが、サブカルチャー用語がどのように発明され流通しているかを理解するための異なる方法を表しています。

 

問題の核心は単なる定義的または語源的なものではなく、むしろ文脈的景観や変化する地域社会のリーダーシップとの動的な関係において、サブカルチャー言語が出現し循環する方法です。

 

重要なことは、ヴァージニアプリンスは、トランスジェンダーという用語からトランスセクシャルを非常に明確に除外したことです。

 

トランスセクシャルを排除する用語としてのトランスジェンダー。


1990年代のいくつかの主要な文化的出来事がこの用語の採用を後押しした可能性が高いです。

トランスジェンダー法と雇用政策に関する国際会議(ICTLEP)が1992年から1996年まで毎年開催され、1992年に、レスリーファインバーグは「トランスジェンダー解放」という人気の小冊子を発行しました。

 

1995年には、TV-TS Tapestryという人気の雑誌がTransgender Tapestryとなりました。1996年に、トランスジェンダー・ドットコムは、トランスセクシュアルとクロスドレッシングの両方のコミュニティのために登録され、紹介されました。

 

そして1997年に、Harry Benjamin International Gender Dysphoria Association が彼らの団体名を「The World Professional Association for Transgender Health (WPATH)」と名称変更しました。


要するに、1990年代初頭までに、「トランスジェンダー」という用語は、トランス + ジェンダー用語の間で注目を集めるようになり、医学界と活動家界の両方で確固たる足がかりを得ました。


病理概念や非病理であることにはなんの関係もありませんでした。


ヴァージニアプリンスは、「トランスジェンダーという用語は、フルタイムで女性として生活するという特定の行動のための名前で、SRSなしの意味で名前を付けた」と主張します。


プリンスは自分自身をこの用語の唯一の権威として位置づけ、自分自身と矛盾するトランスジェンダーの使用の反対を強く主張していました。
※ヴァージニアプリンスは、「トランスジェンダーにトランスセクシャルを含めるな」と強く主張してたということです。


それでも、トランスジェンダーを公​​式に定義しようとするプリンスの試みにもかかわらず、彼女が反対したトランスセクシャルを含む傘の用法:アンブレラタームは1990年代を通して人気を集め続けていました、そして2000年代までにそれは支配的な用法として固定されました。

 

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ICD-11

ICD-10は1993年にWHOがリリースしましたが、アメリカが採用したのは2015年の10月からです。

 

アメリカはそれまでICD-9を採用していました。

 

つまり、ICDの新しい版がWHOからリリースされても、世界中の国々が一斉に切り替えなければいけないというルールではないわけです。

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性同一性障害とトランスジェンダー

「性同一性障害という言葉がこんなに広がってるのは日本だけだ、日本は性同一性障害大国だ」と、理由も言わずにそれが悪いことのように言う人がいますけど、なんでそれじゃダメなのかの理由は言えないんだよね。

 

というか、逆に言うと、世界で日本だけが、トランスジェンダーの中で、「性同一性障害の診断を持っている人」と「持ってない・診断が出なかった人」を明確に分けることが可能なんだよね。これ、一部の人たちには非常に都合が悪いわけ。「トランスジェンダーとは、医療ケアを受けたい人も受けたくない人もいる。どちらもトランスジェンダーとして一緒である」という説明を強固にするためには、性同一性障害概念は邪魔なんだよね。「ただのクロスドレッサー(異性装者)・トランスヴェスタイト(女装者)も、性同一性障害の診断を持って医療ケアを受けて身体を望む性別に近づけてる人も、同じトランスジェンダーである」としておいた方が都合がいい人たちがいるんだよね。「クロスドレッサー(異性装者)・トランスヴェスタイト(女装者)」と「性同一性障害の診断を持って、医療ケアを受けて、望む性別で社会的にも生きてる人」を別にされると困るわけ。一緒のものとして、世間に誤解させておきたいんだよね。トランスジェンダーという意味を曖昧にしておきたい。

 

だから「性同一性障害という概念は廃止された」という宣伝に忙しかったりしてる。それは完全なウソで、正確には「性別不合に名称変更される(た)」なのにね。性同一性障害概念がこの世から消えた方が、なにかと都合がいいんだよね。そして、クロスドレッサーやトランスヴェスタイトも含んだ「トランスジェンダー」という名前を広めたいわけ。性同一性障害概念の元だと、クロスドレッサーやトランスヴェスタイトは排除されるからね。それでは困るわけ。

 

でもまぁ、厚生労働省は、「性別不合は性同一性障害の後継概念である」と正しく認識しているので、彼らの野望はシオシオになるでしょう。また彼らは、チャンスをうまく生かすことができなかった。

 

あと、「アンブレラタームとしてのトランスジェンダー」にも文句付けたりしてるよね。それは、アンブレラタームの元では、トランスジェンダーの中にクロスドレッサーやトランスヴェスタイトが含まれることが明確になってしまって、困るからなんだよね。

 

いずれにしても、「トランスジェンダーの語源はヴァージニアプリンス」説を採用するのであれば、そもそも「トランスジェンダーとは、トランスヴェスタイトである。クロスドレッサーである」という定義になるんだよね。アンブレラタームを採用することによって、はじめてその中に、トランスセクシャルや性同一性障害の診断を持ってる人たちが含まれるようになるんだよね。

 

さて、どっちを選びたいの?

 

ちゃんと「クロスドレッサーにも、性別自己選択の権利がある。戸籍の性別の取り扱いの変更を可能にせよ。当然、手術は無しだ」と主張すればいいだけなのにね。それはやらないよね。

 

※ヴァージニアプリンスは「トランスヴェスタイトとは男性だけである。女性は好きな服を着られるのだから、トランスヴェスタイトではない」と主張しているので、ここでは、トランスヴェスタイト=女装者としています。

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花丸 ジョグジャカルタ原則の真実

 

国連はそもそも、「LGBTの人々を暴力や差別から守るために、あらたに、LGBT固有の権利を創ったり、国際人権基準を確立したりする必要はありません」という立場。

そしたら「え?じゃジョグジャカルタ原則ってなんなの?」となりますよね。

性的指向と性同一性を理由とする差別との闘い

 

それはね、国連は、
「LGBTの人々の人権を擁護する各国の法的義務は、世界人権宣言とその後に合意された国際人権条約に基づく国際人権法で、すでにしっかりと確立されています」という立場なの。
新しい人権法は作りません。と。

 

でそうなると、世界のLGBT活動団体は、
「いや、まいったな、世界人権宣言にLGBTのことなんか具体的にはなんも書いてないじゃん」となるわけ。世界人権宣言とか、とても古いものだからね。
だから、専門家と称する人たちがインドネシアのジョグジャカルタに集まって「世界人権宣言とか他の国際人権条約からLGBTに使えそうなとこを抜粋して超訳してまとめようぜ」という会議を開いたわけ。

 

その会議で決めたのが、「ジョグジャカルタ原則」なのね。だから「LGBT人権法」とか「LGBT国際人権条約」とかじゃなくて、ただの「解釈の仕方の原則」なの。
世界人権宣言とかの文章を無理矢理にLGBTに当てはめると、こんな風に解釈できるんじゃないかなと俺たちが決めたよと、まとめたものなのね。

つまり、
ジョグジャカルタ原則とは、性的指向および性自認に関して国際人権法がどのように適用されるかを解釈してまとめた国際文書なわけ。

 

だから、ジョグジャカルタ原則は単体ではないわけ。そのそれぞれの「原則」には、根拠となる該当するいずれかの国際人権法が裏にきちんと存在してるはずなのね。すでにある国際人権法から、使えそうな部分を集めて解釈してまとめたものだからね。

 

原則自体には法的拘束力はないのね。
それぞれの締約国に対して拘束力のある人権諸条約にあげられた権利が、性的指向と性自認に関連してどのように当てはまるのかを示して、(当初は)29の原則にまとめたのね。
拘束力は、元々の人権諸条約側にあるわけ。

 

その元々の人権諸条約を読み込んで(元々の条約にはLGBTについての具体的なことは書いてないから)「ここはLGBT的にはこういう風に解釈することにします」と、ジョグジャカルタに集まった専門家たちが会議で決めたの。それが「原則」。

 

よって、

世界人権宣言 第1条
すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。

これがジョグジャカルタ原則フィルターを通すと、

すべての人間は尊厳と権利において生れながらに自由にして平等である。各個人の性的指向や性同一性のいかんに拘わらず、全ての人権を完全に享受する。

となります。

 

世界人権宣言第1条は、LGBT的にはこう解釈しますよとの原則を決めたのね。

 

要は、ジョグジャカルタ原則のすべての「原則」には、オリジナルの国際人権法のどこかの条が、一対一で対応してるはずなのです。
既存の国際人権法の、「LGBTに対する新解釈」がジョグジャカルタ原則なのですから。

 

本来は、ジョグジャカルタのすべての原則に、「これはどの国際人権法のここを新解釈しています」と書いておくべきなんですよね。
オリジナルとの恣意的な差異が、その「新解釈」に当たるわけですから、そこが分かりやすくなってないと不誠実なわけです。

 

で、現実には、その「不誠実」が事実なのです。

 

では「第3原則 法の下に承認される権利」を見てみましょう。

 

万人はあらゆる場所において法の前に人としてその人格を承認される権利を有する。多彩な性的指向や性同一性を持った人々は生活のあらゆる場面において法的能力を享受する。
各個人の自己規定された性的指向や性同一性はその個人の人格に不可欠なものであり、自己決定権、尊厳、自由の最も基本的側面の一つである。性同一性の法的承認、つまり法的性別変更の条件にホルモン療法や不妊手術や性別適合手術といった医学的治療は必須とされない。
結婚している、あるいは親であるといった社会的身分もその当事者の性同一性の法的承認つまり法的性別変更を妨げない。万人は性的指向や性同一性を否定したり、揉み消したり、抑圧するよう圧力をかけられない。

 

Principle 3
The Right to recognition before the law

 

「性同一性の法的承認、つまり法的性別変更の条件にホルモン療法や不妊手術や性別適合手術といった医学的治療は必須とされない」のここなんだけど、これは当たり前だけど世界人権宣言には直接は書いてはないんですよね。

 

ここはね、

 

世界人権宣言第五条
何人も、拷問又は残虐な、非人道的な若しくは屈辱的な取り扱い若しくは刑罰を受けることはない。

ここをLGBT的に新解釈してると思われるわけ。だから、LGBT活動団体は「手術の強制は拷問である」「診断を受けることは、屈辱的な取り扱いである」と主張してるんだよね。

 

だから、ジョグジャカルタ原則に関しては「え?そこをそう解釈するわけ?」という疑問をたくさん解決しなきゃいけないんですよね。

 

「世界人権宣言のどこをどのように解釈したらジョグジャカルタ原則になるのか」という研究だけで、論文がひとつ書けると思いますよ。

 

ジョグジャカルタ原則プラス10(YP + 10)

The Yogyakarta Principles plus 10 (YP+10)
Additional Principles and State Obligations on the Application of International Human Rights Law in Relation to Sexual Orientation, Gender Identity, Gender Expression and Sex Characteristics to Complement the Yogyakarta Principles.

The YP plus 10 was adopted on 10 November, 2017 to supplement the Yogyakarta Principles. The YP plus 10 document emerged from the intersection of the developments in international human rights law with the emerging understanding of violations suffered by persons on grounds of sexual orientation and gender identity and the recognition of the distinct and intersectional grounds of gender expression and sex characteristics.

 

 

 

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